今日は那覇市文化協会・うちなーぐち部会の設立準備会に出席してきました。
ウチナーグチの保存、普及、継承ということを目的とする訳で、
いろいろな活動の予定も話し合われましたが、範囲が広すぎるよなあという印象。
もちろん自分もウチナーグチは好きだし、無くならないで欲しいと思うので実際に言葉としてウチナーグチを使ったり、勉強したりしています。
この部会に参加したのもその気持ちからです。
ただ、世代として真ん中ぐらいになる自分の立場で言わせていただければ、
「ウチナーグチが無くなりつつある。言葉が乱れている」とは言われつつも、「無くなって、乱れて何が困るの?」ということ。
例えばこの2011年現在で大雑把に、ウチナーグチが分かる人と分からない人とを分けたときにどんな感じでしょうね?おそらく分からない人の方が多いんじゃないかと思います。
「芸能をやるには言葉が・・・」ということもよく言われます。自分なりには勉強もしているつもりです。でも、分からなくてもサンシンも弾けるし琉舞も踊れます。最高賞も取れるし教師の資格も取れます。指導者にもなれます。それが現実です。
芸能に関わる人間だけでもそんな状態ですが、その芸能人も県民の人口比で果たして何パーセントになるのか?
(それでも他府県よりは圧倒的に多いとは思いますが・・・)
とにかくウチナーグチなんて分からなくても何にも困らない。ということです。
そんな中でもウチナーグチに関わることが好きな人たちが集まって活動して行く事になるのだろうと思います。自分も含めて。
活動の幅というのがあると思うのである程度の切り分けは必要かと思います。
ウチナーグチを研究したい人、聞けるようになりたい人、話せるようになりたい人とか、ウチナーグチに関わる理由も人それぞれだろうし。
極端な言い方をすると、研究もしたくない、聞けなくてもいい、話せなくてもいい、だけどウチナーグチは無くなって欲しくない。って人も。
ウチナーグチは大事だ。残さないといけない。って言う声はよく聞きますが、
実はそういうふうに自分では何もしないで、無くしたくないっていう無責任な人の方が多いんじゃないかと思ってますがどうでしょう?
おっと、ゴーグチはこれくらいで・・・
世代も違い、出身地も違い、ウチナーグチの理解度も違う人たちがいっぺんに集まっても、ただ集まっただけで終わってしまいそうです。
が、しかし、だからといって、な〜んにもしないのは一番悪いので
また次の集まりに何かの収穫をもらいに行きたいと思います。